天璋院篤姫「小松帯刀」(4)
NHKの大河ドラマ「天璋院篤姫」は、いよいよ和宮派とのトラブル編に入ったのだが、今ひとつ煮え切らないキャラクターが、薩摩の小松帯刀。しかし、歴史の表舞台に立った、西郷や大久保、龍馬、慶喜と違って、実は本当のキレモノであったらしい。
この人、薩摩藩の名門、肝付家に生まれ、小松家の養子となり、藩主斉彬より帯刀の名を賜り、久光に力量を認められ弱冠27歳で家老に昇進する。藩政改革に取組むと共に、朝廷や幕府、諸藩との交渉で巧みな外交手腕を発揮したエリートだった。大河ドラマでは、そのエリートぶりより、西郷や大久保と親密に付き合う場面が何度も登場する。明治維新で活躍した武士は諸藩の中枢の武士ではなく、下級武士が多いのだが、幕府の枠組みの中にあって自由に活動できたはずもない(龍馬は、土佐藩を脱藩している)。その下級武士であった、西郷や大久保が、明治維新に活躍できた理由は、家老“小松帯刀”の理解が大きかったはずである。
薩長同盟(1866年1月)も京都の小松邸で龍馬の仲介のもと、西郷と木戸孝允が会談し締結。1867年10月13日の京都・二条城での大政奉還の審議でも慶喜に対してその必要性を熱心に説いたという。歴史上の派手な出来事には名を残していないが、実は要所を押さえるキーマンであった。維新後、明治政府の要職につく人材であったはずだが、残念な事に36歳で病死している。
大河ドラマ。当分は、篤姫と和宮に注目が集まるはずだが、維新にかけての歴史の動きと小松帯刀に注目しても面白いだろう。
PS. 天皇の妹「和宮」に対して、徳川の嫁となった以上、徳川の人間として扱おうとした篤姫は、天皇あっての明治政府の体制側から、和宮をいじめた悪女という評価であったそうだ。“直近の歴史は体制側が作る”ようやく大河ドラマでその評価が変わる。物事の判断は、一方だけでなく両方の話を直接聞いて自分で判断しなければならない。このことは、ドラマの中で、度々、篤姫が実行している。原作者の宮尾さんのメッセージかもしれない。



Recent Comments