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January 20, 2006

大阪の原形~その1~

 司馬遼太郎の文集の中に「大阪の原形」というのがある(中央文庫「十六の話」)。私は大阪で生まれたためこの原形に少し追加して概略を述べてみたい。
 大阪の真ん中の東大阪市に古い名前で「盾津」という地名がある。今でも盾津中学校などとして残っている。古代の大阪は“海”であった。古代の文献、『古事記』や『日本書紀』の神武天皇が船で大阪湾の奥「河内国草香邑青雲白肩之津」に上陸したと書かれている。ここで、盾を並べて雄叫びした事から、「盾津」と改めたとされている。大阪は今の上町台地(大阪城から天王寺にかけて)を除いて浅い海であった。ところが大阪には琵琶湖から流れる淀川と奈良から流れる大和川があり、特に大和川は洪水のたびに土砂を堆積させ、3~4世紀ごろにはおびただしい島ができ「八十島」と呼ばれていた。この島が出来る事をめでたく思う意味をこめ神事を行ったのが日本で最も古い神社のひとつである「住吉大社」である。8世紀くらいには上町大地の西側に海岸線があり「難波江」と呼ばれていた。4世紀~10世紀ころまでは、北九州と並ぶ国際港であった。その上町台地の南端に、593年「四天王寺」が造営された。国際港に相応しく文明国を想像させていたのであろう。
 15世紀、蓮如という僧がいた。13世紀に親鸞が浄土真宗もしくは単に真宗とよばれる宗派を起こした。ただ親鸞は弟子をもたず教団も形成しなかった。その第八世の孫である蓮如は天才的な組織力を身に付けており、たった一代で日本最大の教団をつくり上げてしまった。その蓮如が1496年に布教のために大阪にきて、上町台地の北端(いまの大阪城のあたり)に石山本願寺を築いた。石山本願寺は、蓮如の二世後の第十世証如の代に大きく発展し門前町を形成した。
(「大阪の原形」~その2へ続く~)

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Comments

まほろんさん、こんばんは。
そうですね。島に堀、東大阪市にも鴻池新田とか沢山たくさんありますね。大和川付替え工事などの大規模な工事の石碑も残っています。歴史を尋ねるランニングできそうですね。

Posted by: Oちゃん | January 22, 2006 at 07:02 PM

確かに島の付く地名は多いです。
我が家は福島でーす。
因みに梅田は昔埋田だったのをイメージが悪いと言うことで変えたそうです。

Posted by: まほろん | January 22, 2006 at 02:29 PM

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