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January 22, 2006

大阪の原形~その2~

~大阪の原形(その2)より続き~
p00019 16世紀、信長は大阪に目をつけ石山本願寺に移転を迫った。信長と石山本願寺の攻防は十年に及びやがて和睦する。しかし和睦の翌々年、本能寺の変により秀吉の時代になる。秀吉は、この地を日本の要とみ、主要物質の市を立て貨幣経済の原形を制度化した。これにより薩摩の米も出羽の米や木材も大阪に運ばれて値付し商品化され再び日本全国に運ばれていく。その流通の為に堀がほられ陸地が整備され、堂島・船場などの商業地ができ、九州や北海道の商品が河川から掘割を伝ってそのまま倉庫に運びこまれた。この商業機構を保護する巨大な城郭が大阪城であった。全国経済を大阪で押さえる事で日本中を支配した。
 その後江戸時代は徳川家の直轄領となったが、実際の自治をしていたのは、惣年寄という町民の間で人望がある複数の住民であった。例えば、大阪に168の橋があったが殆どが町橋(町人が作って寄付した)であり公儀橋と呼ばれる国立のものは12しかなかった。学校にしても幕府や藩の公立もあったが、大阪の町人たちが醸金しあって作った学校が栄え、学ぶ人も商家の番頭や丁稚など身分が雑多におよび、独創的な学問が栄え庶民文化が開花した。この歴史が今の大阪の独特の雰囲気を醸しだしているに違いない。
(参考)司馬遼太郎「十六の話」中央文庫

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