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September 07, 2005

天才の悲劇~義経と頼朝~

 一の谷の“鵯越の逆落とし”、屋島の“暴風雨の中の船出と背面よりの奇襲攻撃”、壇ノ浦の“潮の変り目を好機と攻める判断力”。義経は武将の中でも稀に見る軍事的天才であった。
 一方の頼朝は天才政治家であった。それまで政治は京都で天皇を中心に公家による律令政治が行われていた。当時の土地は、いわば公有であり公家による律令政治で治めていた。一方、土地を開墾して田畑を作る武士や農民は、中央の公家方が承認しない限り自分の土地にはならなかった。特に関東の武士、つまり地主には不満の種であった。頼朝は流人であったから家来は一人もいない。北条の後ろ盾で力をつけるが決して公家方になびかず、距離を置き、鎌倉より出ようとしなかった。京都に出れば必ず公家方に組み込まれることを知っていた。やがて、関東武士に担がれてかもしれないが、鎌倉幕府を開き将軍という制度を誕生させる。
 義経は、壇ノ浦に勝利したことで、一躍スターに伸し上がる。それを後白河法皇は上手く利用しようとした。律令制度を維持する為に平家を利用し、平清盛が勢力をつけすぎると源氏を呼寄せ追討させ、スターとなった義経を抱き込むことを考えた。平家は武士でも公家方についた。ところが頼朝は逆になびかなかった。そこで義経に検非違使の官位を与えて京都に引き止め源氏の分離を図った。律令制度を維持する為には、それまでの平家に変る従順な武力が必要であった。それまで孤児であり無官であった義経は官位を与えられ優遇されることで政治の流れが見えなくなる。
 頼朝にとっては、平家を滅ぼしたあと、幕府設立に必要な人材は、戦に強い武将でなく、政治感覚に長けた手腕のある事務官僚であった。その流れが読めない義経は、公家を支える第2の平家となる。ここに、二人の天才の悲劇は決定的となった。平家は2代、源氏は3代で滅亡した。すべてが天才という人は存在しない。才能の裏側には、弱すぎる人間性が見え隠れする。誰でも“弱点があるからこそ英雄になれる”可能性を秘めている。
(参考)司馬遼太郎「司馬遼太郎の日本史探訪~平家を全滅させた軍事的天才 源義経」角川文庫より

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