December 01, 2008

教えて学ぶ 

 新人を指導する。まったくの新入でなくても、入社2~2年目の若い社員、あるいはベテランになると10年選手も教える機会はあるでしょう。
 書類ひとつとっても、まったく意味不明の人(日本語がわかっているの?)。文脈はそれなりにできても誤字だらけ(PCのお陰で日本語変換に失敗したことに気付かない!)。隣の席からメールで報告する。やってますと自信ありげだが結果はピントはずれ(最初に確認する!報連相のコミュニケーションができない!)・・・
 うんざりするのだが、よく考えると、昔は自分もそうだったハズだ。他人の間違いを見て、昔の上司の気持ちがよく判る。昔は書類ひとつ作るのにも苦労したものだ。誤字脱字もいっぱい書いた。悪い報告は、し辛かったし、ピントはずれの結果報告で遣り直しも山のようだった。人に教えて初めて、きちっと書くことの大切さが分かる。人に教えて初めて、コミュニケーションの大切さが分かる。教えてもらう事は自分の成長に欠かせない。が、教えて初めて、本当の大切さに気付く事はいっぱいある。
 OJTや職場コーチ制度など、呼び方は企業によって違うが、先輩が後輩を教えるのは、実は、先輩の勉強の場でもある。教える人が、きちっと解ってないと教えられない。自分の喋りや仕事の仕方が正しかったか?客観的に見詰め直す機会になる。他人の視点で考える訓練になる。相手のレベルに合せてブレークダウンするには、それなりの技量がいる。
 相手に緊張させ過ぎず。感情的に怒らず。叱れば褒める。説教の後には冗談も必要だ。良い例え話のネタも準備する必要もある。・・・と考えれば、自分の人間性を高める修行だ。“教えることが自分の成長になる。”とは上手く言ったものだ。

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November 27, 2008

叱咤激励

 「叱られないことを寂しいと思えッ!~(宇津木魂)」という記事があった(日経ビジネスオンライン2008.10.29)。あの女子ソフトの宇津木妙子さんの「宇津木魂―女子ソフトはなぜ金メダルが獲れたのか」という本の朝山実氏の評論だった。
 少し引用させてもらうと、
『当然指導者として何をするべきかを書いてある。必要なのは、緊張感を保つ事。選手を平等に扱う事の2点とある。勝てば官軍の現代の風潮のなかで、きちっと叱らなければ緊張感が薄れていく。だらけた行為を放っておくと伝染する。必ず安易な方向に汚染していき気がついたときには、もう戻れなくなっている。だらしない行為を野放しにするチームは決して強くはなれない。などなど、チームでなくても通じるところがある。』
 他にも、弱小チームの監督になったとき、食堂の壁に「挨拶、時間厳守、整理整頓」と紙を貼る事から始めた逸話など、私たちの会社や家庭でも通じるところがある。
 ただ漠然と練習を積んでも何も身につかない。必要なのは、緊張感と集中力。それを維持させる為に、鬼監督はあれこれ頭を使う。人間くさい駆け引きが面白いと結んでいる。
 会社人間になって30年以上、その間、ずっと叱られてきたようなものだ。上からも下からも突っつかれる中間管理職。宮仕えは大変なのだけれども「叱られるほど 大人になれる。」と思えば、有り難い“叱咤激励”に聞こえるものです。尤も、叱られ慣れして打たれ強くなった人や、流れに任せる遊泳が得意な人には、効き目が無いかもしれませんが・・・。日頃怒声に耐え忍んでいる(発している?)ご同輩諸氏殿、いかがでしょうか?

PS.日頃怒声を発しているご同輩諸氏殿には、こんな手もあります。→6秒間の沈黙(2008年3月11日みてみてコラム)

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November 18, 2008

ザルに水を盛る

 いくら聞いても、いくら勉強しても、私の頭はザルのごときで直ぐに忘れてしまう。と思っているあなた。心配いりません。皆似たり寄ったりですよ。竹で編んだザルに水を注ぐと、隙間から漏れてしまうのは当たり前。ザルに水を一杯にするには、水の中にザルを漬けてしまえばいいのです。つまり、何度も何度も同じことを聞くなり、繰返し何度も勉強すればいいのです。継続は力なり!

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November 14, 2008

感謝の一礼

 一生懸命努力して、優勝した。血のにじむ努力をして勝ち取った。当然「私が頑張ったから一番になった」と喜ぶのは良いのですけれど。一番になった成功体験が響いて、その後ダメになる人も多いものです。一番になれたのは、当然努力もあるのですが、支えてくれた人が必ずいたことを忘れてはいけないのです。その人達がいたからこそ運がついてくるものなのです。
 ある日本の登山家が、外国の未踏峰の山に登ったとき「我自然を征服せり」と叫んだそうです。ところが一緒に登った現地のシェルパは「自然が登ることを許してくれた」と大地に感謝したそうです。マラソンのテレビ中継を見ていて、清々しく感じるのは、選手がゴールした後、コースを振り返って一礼する場面があります。柔道でも、音楽でも何でも、躾の行き届いたチームでは、自分たちの練習場から一礼して下がるのが礼儀です。理由は簡単です。自分が強い!と天狗になるのではなく、「一番にして頂いた」「ゴールさせて頂いた」「練習させて頂いた」ということに感謝しているのです。感謝することで、自分ひとりの力ではなく、支えてくれた人々皆の力であり、幸運の力を呼び込めるのです。ですから、この次もと頑張れるのです。

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November 11, 2008

勝海舟と篤姫

P00139 文芸春秋の文庫本「武将列伝(江戸編)」(海音寺潮五郎)の中に“勝海舟”がある。
NHK大河ドラマ「篤姫」も大政奉還を前にクライマックスに入った。そこで主役に躍り出るのが、勝麟太郎であり、西郷吉之助だ。江戸城無血開城という“離れ業”で日本を救った事実は奇跡といってもいい。その史実について、大奥を中心に描いた大河ドラマと、海音寺潮五郎の「勝海舟」(この本には、勝海舟の前に西郷隆盛の項目もある)で、裏表から同時に見ようと、いっきに読んでみた。
 歴史文学で面白いのは、やはり、信長・秀吉・家康と続く戦国時代。それと幕末から明治維新のころが突出している。流れが大きく変わり日本の将来を決定付ける時代に、小事にとらわれず大局を見定める偉人が続出しているところが面白い。勝にしても西郷にしても、敵同士でありながら、初めて会って相手の器の大きさを理解し信用しきっている。例えば、勝と西郷が初めて面会した後、西郷が大久保利通に送った手紙には「勝氏へ初めて面会し候ところ実に驚き入り候人物にて、どれだけ知略これあるやら知れぬ塩梅に見受け申し候・・・」と書いている。また、勝は坂本龍馬(最初、龍馬は勝を切るつもりで訪問したのだが、すっかり勝に惚れ込んで門人になっていた)に西郷をあまりに褒めるので、龍馬は「拙者も会ってみたいので、添書を書いてください。」と言い、紹介状をもって薩摩藩邸を訪問している。このことが後の西郷・勝の江戸城無血開城につながっていく。
 明治維新後は、西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允など人の器の大きさをその後の新政府要人たち比較して語っているが、どの時代でも世の中の仕組みが出来上がったあとには、時代を築く傑出した政治家は出にくいようだ。

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November 03, 2008

サイゼリヤとものづくり

 「サイゼリヤ 独り勝ちの研究」(日経ビジネス2008年10月27日号)という記事があった。10月20日には、中国に製造委託していたピザ生地にメラミンが検出された事で話題になったばかりだが、冬の時代といわれる外食産業。業界を長年引っ張って来た「すかいらーく」「デニーズ」「ロイヤルホスト」は業績不振にあえぐ中で、サイゼリヤはダントツの営業利益率(8.9%)と営業利益を誇る。そのモットーは「楽量早安」化。その極意の例は、
〔その1〕関節と筋肉の動きをできる限り少なく。
〔その2〕半調理済みで届き、仕込みいらず。
〔その3〕作業はまとめて効率的に。
など・・・ 楽に作業ができ、量がこなせて、素早く、安くお客様に料理を提供できる創意工夫が山のようにある。びっくりすることに、厨房に包丁が無い。
 ところで、この話の単語を少し変えると、外食産業でなく、製造業そのものに当てはまる。製造業の工場における「ムダ取り」や「カイゼン」の取組みそのものだ。常にカイゼンを続けるから、業界のTOPの業績を残せる。提供する料理がヒットすれば、同じメニューを他が真似る業界で、カイゼンが継続できなければ淘汰されるのも事実。以前にこの「みてみてコラム」でも紹介した、
(1)「永遠に未完成(2005.3.3)」:東京ディズニーランドが人気を保てるのは、常に新しいアトラクションを作ることで、また行きたいとリピーターが増えるから。
(2)「感謝に敵なし、反省に終わりなし(2006.2.16)」:秋保温泉街の小さな食品スーパー「主婦の店さいち」が繁盛するのは店のおばちゃんの工夫と「感謝に敵なし、反省に終わりなし」という印象的な言葉があるからこそ。
を見ても明らかだ。
 日々努力!は大切なのだが、ガムシャラにやれば良いというものでもない。よく考えることだ。野球で2-3のカウントで、来た球を力任せに引っぱたくのも良いかもしれないが、配球を読み、次に来る球を予想し対処する事も必要だ。失敗をなくし、最短距離で到達する方法を考えれば、効率よく物事が運べる。

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October 26, 2008

New Car

 我が家に新車が到着した。それから2週間で1000km点検の時期が来た。
 愛着のある古い車も、既に11万kmを超えると、何かと不具合が出てくる。車検では10万kmを超えると、エンジンを分解してタイミングベルトを交換しなければならない。となるとそろそろ替え時だろう。主に通勤用にと、これまでの車より燃費の良い物で、かといって今までより小さ過ぎるのも高速を走るには安全面や性能・装備でチョットと思い、それなりの車に落ち着いた。それにしても最新の車は、燃費も良くなったし性能も装備も格段に良く快適だ。ナビは勿論、電子スターターのボタンひとつでエンジンが掛かるなど、カーエレクトロニクスの進化の力は大きい。(勿論その分値段も高いのだが・・・)
 ところで、米国は勿論日本でも自動車の売れ行きが落ち込んでいる(日本の自動車販売9月は5.7%減)。ガソリンの高騰もあるのだが、米国でのサブプライム危機に始まり、欧米を中心とした金融危機。さらに10月7日は日本の平均株価が4年数ヶ月ぶりに1万円を割り込んだ。世界金融危機の連鎖だそうで、世界の大富豪の持て余した金が円に投資され円高が進む。世界大恐慌の再来という見出しまである。(私の小遣い値上げやボーナスも期待薄だ)。日本の売れ筋の車も、軽自動車が上位を独占している。ハイブリッドや電気自動車の話題が先行しているが、技術的進化からすれば本格的な普及はまだ先の話。あと数年は日本の優れた品質の車で故障知らずに快適なカーライフを楽しませてもらおう。
 ところで、11万kmを超えた古い車でも、無事故で程度も良いものなら中古市場に並ぶそうだ。それでも売れない場合は海外に送られるものもある。日本製の車やテレビなどの家電製品の一部は中古品でも人気がある。ピアノ売ってチョ~ダ~イの中古ピアノも中国などでは大人気だそうだ。

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October 23, 2008

休日の楽しみ

 折角の3連休のうち、2日が出勤になったらどうしますか?
 あれもこれもしたいと予定を入れていることでしょう。「あ~折角の休みが・・・」と思っても良くなるわけがありません。それより気持ちを切替えて「休みの一日を目一杯楽しもう」と考えると、気持ちも晴々・ワクワクしてくるものです。思い悩んでメンタルなダメージを積み重ねるより、残った休日を充実させた方が精神的にも健康にも良さそうです。
 朝6時、朝食前に近くの公園までジョギング。朝一番は空気も澄んでいて爽やか。シャワーを浴びて、たっぷり時間をかけて休日の朝食を楽しむ。午前中に買い物や整理を済ませ、午後からは友人や家族とお喋り、夜はお酒を片手に、読書やお気に入りの音楽を聴く・・・考えただけで、楽しくなりそうですね。
 実は最近の3連休で同様の事があり、たった1日の休みを朝から晩まで有意義に過ごせて、逆に得をした気分になりました。要は気持ちの持ち方次第ですね。
 “なくしたことを悔やむより、今あることを楽しもう”
 “できない事を悔やむより、できることを考えよう。”
 “前向きに考えれば道は開ける。”

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September 23, 2008

関宿を走る

P00003 今日は、秋晴れのいい天気で祝日。そこで、関宿から亀山城方面へマラニック。丁度、赤い彼岸花が満開でした。
 関宿は東海道五十三次の一つで、関から亀山にかけて、古い町並みが保存されていて、昔の本陣跡や旅籠跡など、ところどころ見学も出来ます。観光バスでの観光コースにもなっているようで、馬籠や妻籠、奈良井宿に比べれば質素ですが、充分昔の面影が味わえます。途中で、こちらの名物“志ら玉もち”(1個85円。小豆のこし餡を上新粉の生地で包んだ御餅)を購入。そのまま五十三次に沿って亀山城、亀山市内、亀山大橋へ、風は爽やかなのですが、陰が少なく結構な暑さに、適当にUターン。
 ところで「関の山」という言葉は、実はこの関宿からでた言葉で、亀山市観光協会の説明によると『「そこまでが精いっぱい」という意味で、夏に行われる関神社の祭礼で町内を練り歩く山車が語源と言われています。絢爛豪華な山車が町内の街道をいっぱいにふさぎ、これ以上通るに通れない様子を表現し、この言葉が生まれたとのこと。また、山車がとても豪華で、これ以上の贅沢は出来ないと言われたことからきたという説も。』現在も、“関宿夏祭り”には山車が町を練り歩くそうです。
( http://www.kameyama-kanko.com/home/genre/festival/005/index.html )

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August 26, 2008

天璋院篤姫「小松帯刀」(4)

P00024 NHKの大河ドラマ「天璋院篤姫」は、いよいよ和宮派とのトラブル編に入ったのだが、今ひとつ煮え切らないキャラクターが、薩摩の小松帯刀。しかし、歴史の表舞台に立った、西郷や大久保、龍馬、慶喜と違って、実は本当のキレモノであったらしい。
 この人、薩摩藩の名門、肝付家に生まれ、小松家の養子となり、藩主斉彬より帯刀の名を賜り、久光に力量を認められ弱冠27歳で家老に昇進する。藩政改革に取組むと共に、朝廷や幕府、諸藩との交渉で巧みな外交手腕を発揮したエリートだった。大河ドラマでは、そのエリートぶりより、西郷や大久保と親密に付き合う場面が何度も登場する。明治維新で活躍した武士は諸藩の中枢の武士ではなく、下級武士が多いのだが、幕府の枠組みの中にあって自由に活動できたはずもない(龍馬は、土佐藩を脱藩している)。その下級武士であった、西郷や大久保が、明治維新に活躍できた理由は、家老“小松帯刀”の理解が大きかったはずである。
 薩長同盟(1866年1月)も京都の小松邸で龍馬の仲介のもと、西郷と木戸孝允が会談し締結。1867年10月13日の京都・二条城での大政奉還の審議でも慶喜に対してその必要性を熱心に説いたという。歴史上の派手な出来事には名を残していないが、実は要所を押さえるキーマンであった。維新後、明治政府の要職につく人材であったはずだが、残念な事に36歳で病死している。
 大河ドラマ。当分は、篤姫と和宮に注目が集まるはずだが、維新にかけての歴史の動きと小松帯刀に注目しても面白いだろう。

PS. 天皇の妹「和宮」に対して、徳川の嫁となった以上、徳川の人間として扱おうとした篤姫は、天皇あっての明治政府の体制側から、和宮をいじめた悪女という評価であったそうだ。“直近の歴史は体制側が作る”ようやく大河ドラマでその評価が変わる。物事の判断は、一方だけでなく両方の話を直接聞いて自分で判断しなければならない。このことは、ドラマの中で、度々、篤姫が実行している。原作者の宮尾さんのメッセージかもしれない。

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